すき焼きは [すき焼き・料理・食材]

鍋料理の一つ。

牛肉を主として用いるが、鶏肉を用いる鶏すき、豚そのほかの肉類や魚貝類を用いるものもある。

すき焼きの語意は鋤を鍋がわりに用いたからという説はあたらないが、使い古しの鋤を用いることは天保3年版の『鯨肉調味方』のなかにある。

「鋤焼とは古き鋤のよく摩れて鮮明なるを熾火の上に置き渡し、それに切肉をのせて焼くをいう。

鋤に限らず鉄器のよく摩れて鮮明なるを用うべし」と書いてある。

ところが文久年間に横浜に開業した店も、慶応年間に江戸に初めて出現した店も、牛鍋屋であって、すき焼き屋といっていない。

明治時代になって牛鍋屋は数多くでき、1878年の牛鍋屋番付には約300軒の店名が出ているが、1軒のすき焼き屋もみえない。

各店ではこんろに木炭を入れて熱源とし、鉄の平鍋を使用して、割下を注ぎ牛肉を煮ていたのである。

仮名垣魯文の『安愚楽鍋』に「往来絶えざる浅草通り御蔵前に店舗の名も高き高旗の牛肉鍋、士農工商老若男女賢愚貧福おしなべて牛鍋食わぬは開化不進奴、実に流行は昼夜を捨てず繁盛かくの如く、オイねえさん生で一合、葱も一処にたのむ」とある。

ここで葱という字に「ごぶ」と仮名が振ってある。

これは明治初年から昭和の初めまで、牛鍋は薄切りの牛肉と長さ5分の輪切りにした長ネギ4個を一列に並べたものを皿に盛ってあった。

この輪切りネギを俗に五分といったのである。

1898年版『東京新繁昌記』には、当時有名な牛鍋屋を10軒ほど掲載しているが、このころは牛鍋屋でなく牛肉店の文字を使用している。

要するに、江戸末期から大正の中ごろまでの間、牛鍋屋から始まり、次に牛肉店の文字が当時の高級店の意で用いられ、さらに牛肉割烹店が別格の店の意として使われていたのを散見できる。

大正の中ごろ、すき焼き屋が牛肉店並みの高級店の意に用いられ始めてから、猛スピードで牛鍋屋の名称はすき焼き屋に変わっていった。
update:2010年03月16日